携帯メールとたまごっち



 携帯メールはたまごっちに似てる。

 昔流行りましたね、たまごっち。なかなか買えなくてねー。ベイブレードもそうだったけど、おもちゃ屋さんに朝から並ぶのが嫌で(入荷日の情報が入るママさんネットワークにも属してなかったし)みんな飽きはじめて店頭にたくさん並ぶようになってから入手しました。
 全盛期の頃は本物の子どもを育ててんのにあんなもん育てるヒマなんてなんてねーよと思っていたのですが、結局買ってしまったのは息子達より私が欲しかったからみたいです。もっとも食事中でもなんでもところかまわずぴーぴー鳴るたまごっちに夫が嫌な顔をするもんで最後まで育てられなかったんですけど。
 実は今でも引き出しの奥に転がってたりします。またやってみたいんですけどね。でも今時外歩いててポケットからぴーぴー呼ばれて取り出したのがたまごっちだなんてさすがに恥ずいからできません。

 今ポケットからぴーぴー呼ぶのは携帯メールです。つか今はみんなぴーぴーじゃなくてもっと洒落た音でしょうけど。私は常に音切ってバイブにしてます。あっちのバイブじゃないですよ。
 携帯メールはすぐ反応する必要のない気安さから、電話よりもところかまわず入って来ます。それに電話をかけるよりも勇気が要らない。ジーンズのポケットで携帯が震えると嬉しい。誰からかなーわくわく。あの人だったらいいなーわくわく。
 …だから広告メールだとすっげー腹立つ。

 なのに私は自分からメールする勇気がなかなか出ない。
 今は仕事中(授業中)だろうなー、今は友達と遊んでるんだろうなー、もう寝ちゃっただろうなー、昨日メールしたばっかだし毎日じゃウザいかなー、返事来なかったら哀しいなー…。
 たかがメール。されどメール。だって逢えないんだから。
 週1ぐらいだったらウザくないよね。来週になったらしよう。
 でも3日もたつともう我慢できなくなってメールしちゃう。で、返事がなかなか来なくてたまらなく寂しくなる。寂しさを癒すためのツールな筈なのに。あの時のトラウマなのかも知れない。
 
 たまごっちに夢中になった人達はみんな寂しかったんだと思う。
 こっちの都合なんておかまいなしに誰かに求められたい。必要とされたい。そんな願望を満たしてくれた。
 すぐに廃れたたまごっちと携帯メールの違いは、相手が生身の人間であること。現実に生きてる誰かが今、自分のことを思い出してメッセージを送ってくれてる。だからそれがたとえ「いってきます」とか「おやすみ」の一言だったとしても、心が暖まる。
 だから逆に目の前にいる人の携帯が鳴ってその人がメールを見てる時には一抹の寂しさを感じます。その携帯をしまうまでの間は目の前の私のことを忘れてるような気がして。

 たまに電車に乗ると携帯メールしてる人の多さに驚きます。相手は誰なんだろう。友達かな、恋人かな、それとも今から逢いに行く人かな。
 貴方の大事な人が、同じように貴方を大事に思っていてくれますように。

 大事な人…。

 あの人にとって私は大事な人かな。


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