怒らせる男



 たまに「彼女(この場合は恋人)に怒られるのが好き」という男にお目にかかる。自分に向かって口とんがらかせて怒ってる姿が可愛いんだそうだ。おめでたいヤツがいるものだ。

 わざと彼女を怒らせて楽しんでる男はよっぽど自信過剰なんだろう。いくら怒っても彼女は自分から離れていったりしないと信じてる。もしくは彼女に愛想つかされて逃げられても痛くも痒くもないかどっちかだ。

 女が恋人に向かって怒るのは大抵スネてるだけだ。「ごめん、俺が悪かった。愛してるよ。」と言って抱きしめて欲しいだけだ。でもスネてるのと本気で怒ってるのの見分けもつかず同じことを何度も繰り返して怒られるのを楽しんでる男はいずれ痛い目に会うだろう。彼女が怒るのは愛してるから。でもある一線を越えるとそれは憎悪へと変わるのだ。量を変えずに。愛の大きさはそのまま憎しみの深さになる。

 彼女の自分への想いの大きさが「愛」から「憎悪」へとベクトルを変えても、それでも自分への想いが大きいことを喜んでいる男もいる。愛情の反対は「無関心」だ。だから憎悪の対象としてだとしても彼女の中で自分の存在が大きければいい。そういう理論なんだろう。

 しかしそういう男が彼女のことを愛していると言えるのか?答えは否だ。
 憎悪することは苦しいことだということを忘れてはいまいか?誰かを憎悪している時は同時にそういう醜い感情に支配されている自分をも激しく憎悪してしまうのだ。そういう苦しみを相手に与えることが愛か?そいつはマゾでも何でもない、自分の感情しか考えてないナルシスト兼エゴイストだ。
  
 愛してるから怒る。確かにそれは真実でもある。しかし怒るという行為には痛みを伴うのだ。安易に彼女の怒ってる姿が見たい、彼女の自分への愛を確認したいというだけでわざと怒らせる男は、彼女の気持ちをもてあそんでいるだけだということを自覚するべきである。





 たまーに女でもいますけどね。そーゆーの。



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